こんにちは! 投資家のSei(@tabirich358)です。
大器晩成という言葉が嫌いな人っていますか?
凡人の僕からするとすごく夢のある言葉で大好きな言葉です。遅くからでも成功できるという希望がたまらないですよね。ちなみに大器晩成の意味を再確認しておきます。
本当の大人物は、若いころは目立たず、徐々に実力を養っていって後に大成するということ
今回は、大器晩成で人生の後半に活躍した5人をセレクトしました。これらの先人から、僕ら凡人は何かを学べるはずです。人生の最後ぐらい自分らしく生きたいですからね。では見ていきましょう。
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・挫折だらけの人生を逆転した先人5人の生き方
Contents
挫折だらけの人生で晩年に挽回した5人から学ぶ
人生の最後ぐらいは、心に描く自分なりの生き方がしたいと思うことがありますよね。特に年齢を重ねていくとそんな気持ちに襲われがちになります。今回、挫折だらけの人生で晩年に挽回した5人の遅咲き人生を紹介していきます。
【シュリーマン】44歳から考古学世界史を塗り替える
・シュリーマン
・1822年から1890年
・68歳で没
シュリーマンは、19世紀の考古学者で中年の星と呼ばれています。彼は、1822年にドイツで生まれて9歳で母親を亡くし、14歳で小売店で働きます。22歳で南米に向かいますが船が難破してしまいます。そこからオランダのシュレーダー商会に入社します。
24歳でペテルスブルクへ行き、ロシア人のカテリーナと結婚します。42歳には世界一周旅行にでかけ、44歳でパリ考古学を学び始めます。46歳でカテリーナと離婚して、3人の子供とも離別してしまいます。
47歳でギリシャ人のソフィアと再婚してトロイの財宝を発掘、54歳でミケーネの遺跡を発掘を達成します。そして1890年に人生の幕を閉じるという人生でした。
彼が晩年に成功できたのは、幼い頃の夢を実現するという強い動機があったとされます。トロイの木馬は小さなころからの夢が晩年に開花するという、まさしく大器晩成のお話です。
【鴨長明】落ちこぼれサラリーマンが58歳で文学史に残る名作
・鴨 長明(かもの ちょうめい)
・1156年から1216年
・62歳で没
鴨長明という名前を聞いたことある人は多いと思います。彼の人生は壮絶なものがありますので見ていきます。
1155年に下鴨神社の最高の神官、正禰宜惣官(しょうねぎそうかん)の次男として生まれます。15歳の時に父親が引退し、18歳の時に父親が亡くなります。そしてここからがどん底期です。18歳で閑職に塩漬けになり、30歳の時には家族と離別してしまいます。
愛想をつかされてしまうのですね。そんな暗い時期を長らく過ごすのですが、彼の人生に光が差し込んだのが40代後半です。47歳で和歌所の寄人になります。
しかし50歳の時に人事が不満で失踪してしまうのです。50歳で大原で出家をしてしまいます。54歳になり日野山中に移り、62歳の時に方丈記など3部作を書き上げたのです。
彼の人生を振り返ってみると壮絶な人生ですが、晩年の失踪と引き換えに得た隠居生活によって思想を深めたとされています。この時に生まれたのが方丈記、無名抄、発心集です。死を迎えた彼を看取ったのは、脇に置かれた3部作の原稿だったそうです。
【与謝蕪村】45歳で結婚!60歳から才能を開花
・与謝 蕪村(よさ ぶそん)
・1716年から1783年
・68歳で没
与謝蕪村は、1716年に大阪の毛馬村の農家に生まれます。しかし幼少時代に両親を亡くしいきなりどん底に。20歳の時に、農家の身上を潰して江戸へ出奔。22歳で夜半亭、早野巴人の内弟子になります。
42歳の時に京都の画壇にデビューして、45歳でともと結婚します。55歳で夜半亭を継ぎ宗匠になります。60歳で絵や句がみずみずしくなり、1783年に「しら梅に」の辞世の句を詠み無くなります。
彼の謎をとくキーパーソンは、妻のともとされています。彼女と一人の娘くのとの貧しくとも明るい生活を送るうちに、孤独の鎧を脱ぎ捨て、のびのびわがままに生きるようになったそうです。この結婚が与謝蕪村の芸術を開花させたと言われています。
【吉野裕子】50歳から独自の民俗学を切り開く
・吉野裕子
・1916年から2008年
・91歳で没
吉野裕子は、1916年に東京で生まれます。23歳の時に大阪郵船勤務の永二と結婚します。24歳で赤ちゃんをなくして、どん底期が始まります。29歳で父が列車事故で死亡。夫が失業してしまいます。
37歳は、津田塾大学卒業して短大講師になります。その後、専業主婦になり、50歳で扇の起源を求め全国行脚します。60歳で文学博士号を取得して、75歳で研究のため東京から奈良に移ります。2008年に亡くなるまで全12巻の全集が完成しています。
彼女の人生は、前半の人生は家族に翻弄された形になります。後半は独自の民俗学の道をわがままに歩み、91歳で「吉野裕子全集」の12巻を書き終えます。陰陽五行によって日本の歴史を読み解く独自の民俗学は、高い評価を得ています。
【松浦静山】中年うつ・62歳からの随筆がブレイク
・松浦 静山(まつうら せいざん)
・1760年から1841年
・82歳で没
松浦静山は、1760年に藩主と秦公人との間に生まれます。16歳で松浦藩主になり、江戸城の柳の間に詰め続けます。しかし31年間役職に就けず、47歳で幕府に隠居願いをだします。逆境のピーク時です。
その後、62歳で甲子夜話を書き続けて82歳の亡くなる直前まで書きも書いたり78巻に上りました。
前半の人生は空回りした形ですが、後半の人生は今でいう人気ブロガーのような職で、記事を書きまくったのでした。
まとめ 50歳からでも遅くない!自分を発見して新しい1歩を踏み出そう
年齢を重ねていくと死を意識するようになります。本当に満足のいく人生だったのかと誰もが考えるはずです。先ほどの5人の人生のように、一部だけを切り取れると成功した人生のように見えますが、長期で見ると壮絶な体験をしているのです。
こんな名言があります
なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない
ヴィクトリア朝時代を代表する作家であるジョージ・エリオットの名言です。何歳からでもなりたい自分を追い求めることが、人生を有意義にすることだと思います。
GOOD LUCK!!
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